コラム

Column

心理の帯域と癒し

一言で『心理』といっても、幅の広いものですね。

 

今ここでの感じや、感覚、考えることなどを表す「意識」の領域。
意識の奥にある、普段はあまり気づいていない、その人の過去から現在までの体験などの領域である、個人的な「無意識」
個人的な無意識の底にある、太古からの民族や人類すべての体験などを共有しているとされる「普遍的無意識」の領域。
そのまた次には、禅などで直覚的に体感するような、「意識」も「無意識」も「普遍的無意識」をも超えた、絶対無の「未意識」とも呼べるような領域。

 

人は、上記の領域のどこかか、いくつかの領域に関する引っかかりや悩み、疑問などを抱えて生き、それらに対する心の落ち着きどころ-“癒し”-を、それぞれ縁あった生き道で求めているように思えます。

 

縁あった生き道とは、心理セラピーの場に限らず、その人の人生で出会う人々、出来事、人生全体の体験の中から得られていくすべてを含んだものでしょう。
また心理セラピーにしても、今の世の中にはすぐには把握しきれない程、数多くのものが存在しています。

 

心理カウンセリング、セラピー的な例ですと、
① その人の「意識」を中心に語って頂き、その人が肯定的に受け入れられる体験から、この自分でいいんだ、という安堵や、眠っていた建設的な心の働きを回復される場合。

 

② 個人的な「無意識」にある過去の親子関係や、傷ついた体験などに気づかれたり、過去の体験を補い、やり直しをされながら癒されていく場合。

 

「普遍的無意識」にある、女性像、男性像、母なるもの、知恵を備えた人物、動物その他のイメージを、夢分析や箱庭を介してやり取りし、心のバランスや人格が発展していかれる場合。
(例えば、心のバランスで言いますと、ウツ的な人は、エネルギーが無くなるのではなく、心の方にエネルギーを使っておられて、現実の方にそれが行っていない状態とも言えます。そして箱庭療法でも、心の方を意味する片側にしかミニチュアを置かれないことがあります。ですが回を重ねると段々、人形が現実を意味する場所に向かって歩き出す作品を無意識的に作られたり、また、意識の上では、八方ふさがりの大変おつらい心理状況でありながら、箱庭の中に、一片の‘希望’を意味するようなイメージのオヴジェを、ご本人も気づかずに置かれていたりといったことがあります。このように深い無意識の心が、イメージを通してバランスをとって、より円熟した人格に向かって働いていることに気づかされることが少なくありません。)

 

④ 絶対無の「未意識」では、人間存在に対する疑問(例えば、人生早くに事故で亡くなる善良な人がいる中、百歳まで生きて、悪どく、あらゆる欲望も味わいつくした人物もいる不条理をどう理解するか、等々)に対して、「こうこうである、であるからこうなんだ。」という様な形での、人間の小さなアタマを納得させる答えではなく、人間の論理的思考を超えた、感覚的満足をも超えた、あらゆる人間的比較を超えた、“無”ともいえるような境涯を感得して、根本的な落ち着きを得る場合。この領域は、言葉を越えた直覚的な体験ですので、セラピストや覚者の持つ雰囲気がボディワークなどを通して伝わるのが主になるでしょうし、セラピーの場だけでなく、その人の人生への取り組み自体も感得への大きな要素を占めるでしょう。

 

『心理』の領域はまだまだ解明されていない仮説段階のことも多いのですが、色々な説を柔軟に受け入れながらも妄信せず、現実感覚もキチンと保ちながら、広大な心理の領域に接して、癒され、人生をより豊かに、人間性の発展に向かって、ご自分なりのペースで歩んでいかれたら、と思います。私も歩み続けて参りたいと思っています。

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